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日本国には今、皇紀2665年変わらない中心者、天皇陛下がおられます。全ての共同体(家・国家)には中心があり、その中心が変わらないで安定している時、その共同体の中にいる人は、平和で安心して暮らせます。中心者が決まらなかったり、何時も変化していると、その共同体の中にいる人は、不安になり、衝突し、平和がくずれ、不幸になってしまいます。イラクをはじめ中心者が安定しない多くの国が、内乱が起こり国民は不幸になっています。 世界一長い日本国の皇統は、武力によってではなく、権威によって守られてきました。その権威の象徴たる万世一系の皇統を、天皇と国民が共に命懸けで守ってきたのが、日本の歴史の根幹を成していると思います。日本民族は権威ある中心者を守ることが国民を幸せにすることだと信じて来ました。歴史の根幹に関わる天皇と国民の問題を考えて見たいと思います。 日本国の皇室、天皇、国民を考える時、その原点に帰らなければなりません。それは日本の神話です。神話は古代の日本民族が霊感によって、宇宙の真理を直観して作った物語であると言われております。日本民族が長い間語り継いで来た大切な精神であり、現実の歴史以上に大切に守り伝えて行くべきものです。本居宣長も、『人は人事(ひとこと)を以って神代を議(はか)るを、我は神代を以って人事を知れリ』(神話は自分の生きる指針である)と言っております。歴史は時の権力者によって、常に歪められて来ました。今こそ、日本最古の書、古事記や日本書紀を見直すべき時でありましょう。 戦前、アメリカ人の神道研究家J・W・Tメーソン氏は「日本の歴史の出発は天にある」と言って居ります。天、即ち古事記に書かれた高天原であります。宇宙の大神にまします天(あま)照(てらす)大御神(おおみかみ)が『豊(とよ)葦原(あしはら)の千五百(ちいほ)秋(あき)の瑞穂(みずほ)の国は、世々わが子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき国なり』と宣言され、その詔(みことのり)を承(う)けて、ニニギノミコト様が高天原(たかあまはら)から降臨し給(たま)いて、その三世孫の第一代神武(じんむ)天皇が日向の国(宮崎県)から東征されて、ついに大和の地(奈良県)橿原(かしはら)に都を開かれたと、神話に語られております。 2月11日の、日本国の「建国記念の日」も日本書紀から決められています。2665年前の辛酉(かのととり)の年正月元旦を太陽暦に換算すると2月11日になるのでこの日を、戦前は紀元節、戦後は昭和41年「建国記念の日」として制定されました。しかし、私達は学校でも「建国記念の日」について、なにも教えられて来ませんでした。正に歴史の断絶が今も続いているのです。日本国は初代神武天皇が、橿原の地で橿原奠都の詔勅を発せられ大和の精神で建国されました。 【神武天皇橿原奠都の詔勅】 『夫(そ)れ大人(ひじり)の制(のり)を立つる、義(ことわり)必ず時に隋(したが)ふ。苟(いやしく)も民に利(さち)有らば、何にぞ聖造(ひじりのわざ)に妨(たが)はむ。且(また)当(まさ)に山林(やまはやし)を披払(ひらきはら)ひ、宮室(おほみや)を経営(おさめつく)りて、恭(つつし)みて宝(たかみ)位(くらい)に臨(のぞ)み、以(もち)て元元(おほみたから)を鎮め、上(かみ)は則(すなは)ち乾(あまつ)霊(かみ)の国を授けたまひし徳(うつくしび)に答へ、下(しも)は則(すなは)皇孫(すめみま)の正(ただしきみち)を養ひたまひし心(みこころ)を弘(ひろ)むべし。然(さ)て後(のち)に、六合(くにのうち)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いえ)と為(せ)むこと、亦(また)可(よ)からずや。夫(か)の畝傍山(うねびやま)の東南(たつみのすみ)橿原の地(ところ)を観(み)れば、蓋(けだ)し国の墺(もな)区(か)か、可治之(みやこつくるべし)、とのたまふ。』 《現代語意訳》 正しく立派な人は、天下の法をつくるにはすべて、その時勢に順応するようにつくる。いやしくも民の利益になることであったならば、誰の作った法でも、改正してさしつかえない。いま自分は、この橿原の山林をひらいて宮をつくり、おそれつつしんで天皇の位につく。そして天下の民心をしずめ、世の中を平和にしたいと思う。同時に神がこの国をさずけられた御神徳にこたえるとともに、後代の子孫たちが正しい心を養うための手本となりたい。かくてこの国中が、神のすまいにふさわしいような清浄なミヤトコロ(宮処、ミヤコ)となり、他の国もそうなったならばやがて天の下(世界)も一軒の家のように、仲むつまじく平和な世界となるであろう。そしてそれは、何と望ましいことではないか。それには先ず都の地が国の正中の地でなければならぬがこの畝傍山の東南の地こそ、国の真中にあたるというから、そこに都をつくるであろう、と申された。(日本新史より)とあり、日本国の『六合兼都・八紘一宇』の「建国の理想」が書かれております。なんと素晴らしい建国の理想でありましょう。 そのような理想国家を実現するには、中心者に利害や権力を越え、人類を公正公平に観る、権威ある存在が必要になります。それは、神的存在でなければなりません。それで、天皇を現人神(あらひとがみ)、国民を赤子(せきし)(日子(ひこ)命・日女(ひめ)命)、国家を神の国と霊的直感で捉えたものと思います。天皇と国民と国家が一体の自覚の元に、天皇は国民のために、国民は天皇のためにと、捧げ合いの姿が日本国の自然の姿でありました。天皇を守るとは建国の理想を守ることでもありますから、私達の祖先は命懸けで天皇と建国の理想を守ってきたものと思われます。それは、今迄の日本の歴史が証明しております。今、私達日本人の多くは、神話を忘れ、建国の理想を忘れて来たが故に、天皇を命懸けで守ることも忘れ去っております。皇室典範改正問題が起きている今こそ、「建国記念の日」を共に祝い、建国の理想を取り戻し、私達の祖先が継承してきた『男系男子の万世一系』を、権威ある天皇を守り伝えて行くべきだと信ずるものです。(つづく)
by hagukumukai
| 2005-10-13 00:40
| 皇室
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