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★「女性宮家」創設は 「裏口からの女系天皇容認論」! ★有識者ヒヤリングは そのアリバイ工作だ! ☆女系天皇容認につながる「女性宮家」の創設論議から、皇室を護る論議を始めるのは本末転倒ではないのか!! ☆『皇室典範』にある『皇位は皇統に属する男系男子がこれを継承する』、この伝統を如何に維持できるかを、何よりも第一に論議すべきではないのか!! ☆皇紀2672年私達の祖先が永々と命懸けで大切に守ってきた「男系継承」を現在の人間だけで変えてはならないとの視点で、時間を掛けて論議すべき問題であろう!! ◆日本の伝統文化を否定する民主党政権では、絶対変えてはならない!! ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日本政策研究センター・HPより転載 ★「女性宮家」創設は 「裏口からの女系天皇容認論」! 有識者ヒヤリングはそのアリバイ工作だ いよいよ「女性宮家」創設問題を巡るヒヤリングが始まった。2月29日の第1回目は、評論家の田原総一郎氏と中世史が専門の今谷明氏で、両者とも基本的には「女性宮家」創設に賛成だという。予想されたとはいえ、創設推進の論議を先行させたのは露骨な世論誘導だと言ってよい。 野田内閣は、「女性宮家」創設問題は「ご公務の分担」の問題であり、皇位継承とは切り離して論議すると言っているが、果たしてそうなのか。 「ご公務の分担」の問題というならば、女性皇族がご結婚後に皇籍を離れられても、「准皇族」とでもいうべきお立場で活動していただくことなども充分に考えられる。 ところが、そんな選択肢は無視して、最初から「ご公務の分担」の問題は女性宮家創設しかないと枠をはめて論議するというのだから、そこには「隠された意図」があると言わざるを得ない。 ●詳しくは下記へ 日本政策研究センターHP 日本文化チャンネル桜動画 【竹田恒泰】女性宮家問題と旧皇族復帰について[桜H24/1/30] ★産経[政治]ニュース 「女性宮家」に反対の安倍氏 「根本原理崩れる。なぜ皇室に敬意を欠いている民主党政権がやるのか」 ★産経ニュース【正論】 高崎経済大学教授・八木秀次 女性宮家創設は荊の道の始まり ![]()
★「女性宮家」論議に 潜む大問題!! ★「女性宮家」を創設して、女性皇族が結婚した場合、女系天皇への道を開く危険性が出て来る!! ☆皇紀2671年大切に守ってきた「男系継承」を守れる皇族を増やす方法を第一に考えるべきではないのか!! ☆日本の伝統文化の核となっているご皇室の伝統を守る視点での国民的議論を、時間を掛けて行うことを望みたい!! ◆日本の伝統文化を否定する民主党政権では、絶対変えてはならない!! ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 日本政策研究センター・HPより転載 ▲「女性宮家」論議に潜む大問題 11月25日の読売新聞が、「羽毛田宮内庁長官が政府に女性宮家創設の検討を要請した」と報じて以来、「女性宮家」について各新聞の論議が始まっている。 「女性宮家」の創設は、女性皇族が結婚しても皇籍を離れなくてもよいように皇室典範を改正し、皇族の減少を防ごうという目的だとされている。将来、現在の皇位継承者が皇位にお即きになられた際、天皇陛下のご公務をお支えする皇族があまりに少ないのは問題があるから、というのである。 しかし、女性皇族がご結婚され「女性宮家」を創設された場合、その宮家とはいかなる宮家となるのだろうか。とりわけ、その宮家の次世代が皇位継承権を持つのかどうかは大問題となる。 もし、皇位継承と無関係な宮家を創るというのであれば、現在の皇族とは別の種類の皇族を作ることとなるが、そうしたことが果たして可能なのだろうか。 一方、女性宮家の次世代が皇位継承権者となるというのであれば、女性宮家創設は「女系天皇」への道をひらくこととなる。 ●詳しくは下記へ 日本政策研究センターHP 日本文化チャンネル桜動画 女性宮家創設の検討問題〈2011.11.25 〉 ★産経[政治]ニュース 女性宮家創設、「性急に考えるべきでない」と自民・安倍氏 ![]()
●戦後復興は昭和天皇 の全国ご巡幸から 始まった!! ☆大東亜戦争の責任を 一身に負われ、 国民を慰め励ましたい御心で ご視察日数165日、 全コースは3万3千キロに およんだ! ◎ 戦の わざはひうけし 国民を おもふこころに いでたちてきぬ ◎ わざはひを わすれてわれを 出むかふる 民の心を うれしとぞ思ふ ◎ 国をおこす もとゐとみえて なりはひに いそしむ民の 姿たのもし (昭和21年の昭和天皇御製) 「全国ご巡幸の大御心」 昭和天皇は、戦にやぶれ焦土と化した全国を巡り、国民を励ましたいとの、ありがたい次のような思召しを終戦の年の10月侍従に告げられた。 『この戦争によって祖先からの領土を失い、国民の多くの生命を失い、たいへんな災厄を受けた。この際、わたくしとしては、どうすればいいのかと考え、また退位も考えた。しかし、よくよく考えた末、この際は、全国を隈なく歩いて、国民を慰め、励まし、また復興のために立ちあがらせる為の勇気を与えることが自分の責任と思う。わたくしとしては、このことをどうしてもなるべく早い時期に行いたいと思う。ついては、宮内官たちはわたくしの健康を心配するだろうが、自分はどんなことになってもやりぬくつもりであるから、健康とか何とかまったく考えることなくやってほしい。宮内官はそのことを計画し実行してほしい』 昭和天皇をお迎えした国民のよろこびはたいへんなものでした。戦後67年、現在の日本がみごとに復興を果たした最大の原因は、あの大東亜戦争の責任を一身におわれ、国民を慰め励ましたい御心で、巡礼の行脚そのままに全国を行幸され、国民を感激させ奮い立たせたからでありました。そのことは、ご巡幸の際に接した多くの国民の声が証明しております。 ![]() ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ![]() ■昭和天皇の全国ご巡幸(39) 《島根県》 (昭和22年11月29~12月1日) 御製 老人をわかき田子らのたすけあひて いそしむすがた たふとしとみし (伊波野村湿田の作業を天覧されて・11月30日) ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 【行幸の日・スト解決】 日立製作所安来工場では29日、行幸を機に2ヶ月にわたるストを解決し、労資手を握り合って生産増強に乗り出そうと喜びの冷酒をくみかわした。日立系全国22工場とともに赤字補充の賃上げを要求して安来工場労組が立ち上がったのは去る9月30日、スト中同組合では作業こそ休んだが、経営委員会を作って同工場の生産赤字追放に知能をしぼり、首切りを伴わない黒字案を会社側に提示、すべてを解決して陛下をお迎えしたいとの熱意が通って、会社側の協力で黒字案が出来上がり、日立労組総連合からの要求に対して、会社側回答があり、28日の組合総会で円満妥結、29日西下した倉田社長、石井組合長らとの間に話し合いがついたもの。(朝日新聞) 【にじり寄る盲学生 心耳に聴いた玉のお声】 県立盲啞学校の生徒たちが松江市立高女と大手前広場の歓迎場で、特に陛下に間近かな前列でお迎えしたが心眼に見た陛下のお姿、心耳に聴いたお声―― 木下茂君(中等部4年) 「今日ほど目の見えないのが口惜しかったことはない。せめてお声なりともと思っていたが陛下のお足音が聞こえて来た瞬間、我知らずジリジリ前に進みハッとした。もう生神様ではないと思っても、心の鏡には長い間映っていた気持ちがとれず、身体が何となくしびれるようだった」 栗原恒子(中等部3年) 「新聞や写真で見たお顔、お姿とちっとも変りなかった。にっこりお笑いになるごとに一言二言お話になるのがどうしても聞こえないのが口惜しかったが元気にしっかり勉強するように、と仰ったのだと教えて貰い大変うれしかった」(朝日新聞) 【やっぱり天皇は神だった・・・】 (片倉工業㈱松江工場) その時「何という神々しいお方だろう、やっぱり人間ではない、神様だ」――「いや全く神様だ」という言葉が感歎のうめきとなって囁き交されるのが、私の耳に入った。これは一体どうしたというのだろう。自ら進んで神格を放棄して一個の人間となられた天皇を、今度は国民が神様だと言う。人情の機微はここに至って極まる。神様だ神様だと無暗に押し付けられると、おとなしいものでも、たまには、何だ只の人間じゃないか、変に勿体をつけて、くそ面白くもないと反発心も手伝って天邪鬼(あまのじゃく)的に否定したくなるものだが、一切の強いられた虚飾を捨て去られた赤裸々な天皇の前には、思わず「神様だ」という叫びも出て来ようというものである。これが人情の自然であり、人間心性の偽らぬ姿なのだ。私はこの意味の神様なら、天皇も微笑をもって受けられるに違いないと思って心やすまるものを覚えた。 【陛下の御会釈に強い感動】(国立浜田病院) 看護婦 佐 々 木 雪 枝 「お大事に」と優しきお言葉賜いけり 夢にはあらじ、夢にはあらじ 深々と会釈を賜うかしこさに 頭上げ得で御足音きく 看護婦 川 年 豊 子 引揚の老いたる一人手を合せ 拝みて泣きぬ君のみすがた ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ★昭和聖徳記念財団 昭和聖徳記念財団ホームページ ★昭和天皇・マッカーサー会談の「事実」 ---敵将を心服させた昭和天皇の御聖徳 日本政策研究センター・アーカイブス ■昭和天皇の全国ご巡幸 《鳥取県》(38) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《富山県》(37) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《石川県》(36) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《福井県》(35) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《山梨県》(34) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《新潟県》(33) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《長野県》(32) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《栃木県》(31) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《福島県》(30) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《山形県》(29) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《秋田県》(28) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《青森県》(27) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《岩手県》(26) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《宮城県》(25) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《京都府》(24) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《兵庫県》(23) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《和歌山県》(22) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《大阪府》(21) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《茨城県》 (20) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《岐阜県》 (19) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《愛知県》 (18) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 (17~) 日本の心を育むネットワーク ![]()
☆この度の東北地方太平洋沖地震に対して、天皇陛下のおことばがテレビを通して、全国民に語られました。これは戦後初めての事のようです。 天皇陛下は、戦後最大の被災地の犠牲者と被災者に心を痛められ、日本国民全てが被災した人々を励まし、助け合って、長い復興の道のりを見守り続けて行くことを願われておられます。 私達国民一人一人は、この天皇陛下のおことばを忘れることなく、戦後忘れかけていた美しい日本の心を取り戻す契機として行きたい。被災地だけでなく、日本全体の復興のために、自分の出来ることから、行動に移して行きたいものである。 以下に、天皇陛下のおことばを掲載させて頂きます。 ![]() ![]() ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ●東北地方太平洋沖地震に関する 天皇陛下のおことば (平成23年3月16日) 『この度の東北地方太平洋沖地震は,マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり,被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し,犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。また,現在,原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ,関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。 現在,国を挙げての救援活動が進められていますが,厳しい寒さの中で,多くの人々が,食糧,飲料水,燃料などの不足により,極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。その速やかな救済のために全力を挙げることにより,被災者の状況が少しでも好転し,人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。そして,何にも増して,この大災害を生き抜き,被災者としての自らを励ましつつ,これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。 自衛隊,警察,消防,海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々,諸外国から救援のために来日した人々,国内の様々な救援組織に属する人々が,余震の続く危険な状況の中で,日夜救援活動を進めている努力に感謝し,その労を深くねぎらいたく思います。 今回,世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き,その多くに各国国民の気持ちが被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。 海外においては,この深い悲しみの中で,日本人が,取り乱すことなく助け合い,秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え,いたわり合って,この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。 被災者のこれからの苦難の日々を,私たち皆が,様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく,身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう,また,国民一人びとりが,被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ,被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています』 ★天皇陛下のおことばの動画 宮内庁ホームページ 産経新聞・主張 両陛下がお見舞い 苦難を共にし立ち直ろう 2011.4.1 産経新聞ニュース 天皇、皇后両陛下、避難所歴訪へ…国民に勇気「精神的支柱」 8日に加須ご訪問 2011.4.7 産経新聞・主張 両陛下が初めて被災地お見舞い 「怖かったでしょう」「大丈夫ですか」 2011.4.14 産経新聞ニュース 皇太子ご夫妻が避難所をご訪問 2011.4.6 産経新聞ニュース 秋篠宮ご夫妻が避難所ご訪問 2011.4.7 ★東日本大震災に対する見解 平成23年3月29日 日本政策研究センター 日本政策研究センター・HP ★御所の「自主停電」 平成23年4月3日 日本政策研究センター 日本政策研究センター・HP ![]()
●戦後復興は昭和天皇 の全国ご巡幸から 始まった!! ☆大東亜戦争の責任を 一身に負われ、 国民を慰め励ましたい御心で ご視察日数165日、 全コースは3万3千キロに およんだ! ◎ 戦の わざはひうけし 国民を おもふこころに いでたちてきぬ ◎ わざはひを わすれてわれを 出むかふる 民の心を うれしとぞ思ふ ◎ 国をおこす もとゐとみえて なりはひに いそしむ民の 姿たのもし (昭和21年の昭和天皇御製) 「全国ご巡幸の大御心」 昭和天皇は、戦にやぶれ焦土と化した全国を巡り、国民を励ましたいとの、ありがたい次のような思召しを終戦の年の10月侍従に告げられた。 『この戦争によって祖先からの領土を失い、国民の多くの生命を失い、たいへんな災厄を受けた。この際、わたくしとしては、どうすればいいのかと考え、また退位も考えた。しかし、よくよく考えた末、この際は、全国を隈なく歩いて、国民を慰め、励まし、また復興のために立ちあがらせる為の勇気を与えることが自分の責任と思う。わたくしとしては、このことをどうしてもなるべく早い時期に行いたいと思う。ついては、宮内官たちはわたくしの健康を心配するだろうが、自分はどんなことになってもやりぬくつもりであるから、健康とか何とかまったく考えることなくやってほしい。宮内官はそのことを計画し実行してほしい』 昭和天皇をお迎えした国民のよろこびはたいへんなものでした。戦後65年、現在の日本がみごとに復興を果たした最大の原因は、あの大東亜戦争の責任を一身におわれ、国民を慰め励ましたい御心で、巡礼の行脚そのままに全国を行幸され、国民を感激させ奮い立たせたからでありました。そのことは、ご巡幸の際に接した多くの国民の声が証明しております。 ![]() ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ![]() ■昭和天皇の全国ご巡幸(38) 《鳥取県》 (昭和22年11月27日~29日) 御製 わが国の紙見てぞおもふ寒き日に いそしむ人のからきつとめを (遺族、引揚者、戦災者が働く和紙拭き工場にて・11月28日) ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 【行幸を仰ぎて】 鳥取県知事 西 尾 愛 治 天皇陛下は御巡幸中、御痛々しい程御気を使われていることをひしひしと感じさせられた。美術展や物産展などにお成りになっても常に出品者の名札に一々御注意になっていたし、育児院にお出でになっても孤児などが遊戯をしていると、その側にお進みになり、ニコニコしながらオルガンに合わせて微かにお顔をお振りになり、御足もリズムに合わせて微かに床を打っておいでになった。また国立病院においでになっては戦傷患者の一人一人に対しベッドの側の名札を先ず御一瞥(べつ)、ビルマから帰還した患者には「何時帰りましたか」「こちらは寒くありませんか、病気はどうですか」「切角大事にして下さいネ」と言われ、シベリアから帰還したと言う患者には「辛かったろうネ」「よく辛抱してくれましたネ」「病気の調子はどうですか、早く良くなって下さいネ」等と言われた。べッドの上に正座して陛下の御尋ねにお答え申し上げる患者も初めの御質問には威儀を正し、去る日の勇士らしくお答えしているかと思う束の間、眼はうるみ、声はふるい、終には声も出し得ない者もあった。私は陛下のあとに扈従して止めどなく出る涙を如何ともなし得なかった。「陛下は人間天皇なんだ、おたがいに人間として御見舞になっているのだ」と思い返しては見るけれども、如何にしても陛下が人間以上の尊き存在のように感じられて仕様がなかった。 【ほそぼそと暮らす人々にも生きる力が】 たとえば七十ちかい齢ででしかもお針仕事で稼ぎながら孫三人との生活を支えている岸本きしさんには「子供を大事にしてね、明るく大切に育ててください」と力づけられ、子供四人を抱えて健闘している石田幸恵さんのところでは新制中学の二年に通うお姉さんに「お母さんに心配かけぬようしっかり勉強してね」そしてまた、同じく子供三人と並んで庭先でお迎えした若い遺族の柴田さんの前では七ツのチエちゃんにも「元気で大きく・・・」とやさしくほほ笑みかけられるといったありさま・・・ この東の平の中腹の母子寮は、平生ともすれば世間一般から見落とされがちな社会の果てちかい片隅である。けれどもここに住む人々は、言わばこの丘の中腹の母子寮を最後のとりでとして、もっとも必死に生活の丘にいどんでいるけなげな人々である。一歩つまずけばそこにはもう救われがたい絶望の深淵が待ちかまえているからである。そして、しかしこの必死の営みが決して徒労でないことを、ここの人々は、この日しみじみと胸に思いおこさなかったであろうか―― 希望をもって生きることは、それがどんなに苦難に充ちた日々であろうとも、孤独から救われるから心強い。希望の光は、それがどんなに遠くかすかであろうとも、生活の道を照らしてくれるから美しい。このことを、今日のわれわれが最も信頼し、わが民族の象徴と親愛するわれらの陛下が、ハッキリと思いおこさせてくださったのである。日本の片隅のこの地山陰の、その社会の片隅にほそぼそと生活するこの母子寮の人々の前に、陛下みずからが御身をはこんで立たれたのである。 【「僕らのお父さま」と子供らが殺到】 成徳校の児童がマスゲームの途中から「わっ、僕らのお父さま」と陛下のまわりに殺到、万歳を浴びせかけた時の嬉しそうなお顔、幸福そうな微笑は印象的で打吹公園の石段を上られながら、いくどもいくども振り返ってはネズミ色の帽子がくしゃくしゃになるまでお振りになった。因伯牛の仔牛に近寄ってにっこりされたお顔、明道校の授業をごらんになりながら児童のうえにふりまかれたほほえみ、慈母観音のようにお優しくなられて気高くお美しかった。関西をはじめ関東、東北、北陸と御巡幸のたびに発せられた「頑張ってね、明るくね」のおことばに接する国民は新しくても陛下には何千何百回にも及んでは御自身、いやな思いをされるに違いないと思うが真剣にどんなにお急ぎの時でも必ず立ち止まられてほんとに心から励まされている。こんなにありふれた、平明でしかも適切な励ましの言葉が他にあろうか。爪先をあげて、かかとをしっかり踏みつけられながら体を曲げて二歩進んではことばをかけられ三歩行ってははげまされる。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ★昭和聖徳記念財団 昭和聖徳記念財団ホームページ ★昭和天皇・マッカーサー会談の「事実」 ---敵将を心服させた昭和天皇の御聖徳 日本政策研究センター・アーカイブス ■昭和天皇の全国ご巡幸 《富山県》(37) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《石川県》(36) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《福井県》(35) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《山梨県》(34) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《新潟県》(33) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《長野県》(32) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《栃木県》(31) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《福島県》(30) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《山形県》(29) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《秋田県》(28) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《青森県》(27) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《岩手県》(26) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《宮城県》(25) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《京都府》(24) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《兵庫県》(23) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《和歌山県》(22) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《大阪府》(21) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《茨城県》 (20) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《岐阜県》 (19) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《愛知県》 (18) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 (17~) 日本の心を育むネットワーク ![]()
●戦後復興は昭和天皇 の全国ご巡幸から 始まった!! ☆大東亜戦争の責任を 一身に負われ、 国民を慰め励ましたい御心で ご視察日数165日、 全コースは3万3千キロに およんだ! ◎ 戦の わざはひうけし 国民を おもふこころに いでたちてきぬ ◎ わざはひを わすれてわれを 出むかふる 民の心を うれしとぞ思ふ ◎ 国をおこす もとゐとみえて なりはひに いそしむ民の 姿たのもし (昭和21年の昭和天皇御製) 「全国ご巡幸の大御心」 昭和天皇は、戦にやぶれ焦土と化した全国を巡り、国民を励ましたいとの、ありがたい次のような思召しを終戦の年の10月侍従に告げられた。 『この戦争によって祖先からの領土を失い、国民の多くの生命を失い、たいへんな災厄を受けた。この際、わたくしとしては、どうすればいいのかと考え、また退位も考えた。しかし、よくよく考えた末、この際は、全国を隈なく歩いて、国民を慰め、励まし、また復興のために立ちあがらせる為の勇気を与えることが自分の責任と思う。わたくしとしては、このことをどうしてもなるべく早い時期に行いたいと思う。ついては、宮内官たちはわたくしの健康を心配するだろうが、自分はどんなことになってもやりぬくつもりであるから、健康とか何とかまったく考えることなくやってほしい。宮内官はそのことを計画し実行してほしい』 昭和天皇をお迎えした国民のよろこびはたいへんなものでした。戦後65年、現在の日本がみごとに復興を果たした最大の原因は、あの大東亜戦争の責任を一身におわれ、国民を慰め励ましたい御心で、巡礼の行脚そのままに全国を行幸され、国民を感激させ奮い立たせたからでありました。そのことは、ご巡幸の際に接した多くの国民の声が証明しております。 ![]() ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ![]() ■昭和天皇の全国ご巡幸(37) 《富山県》 (昭和22年10月30日~11月1日) 御製 立山の空に聳ゆるををしさに ならへとぞ思ふみよのすがたも 【昭和天皇の御巡幸より】 御召列車が県境の倶利伽羅(くりから)峠のトンネルを超えて富山県へ入るや、陛下の御眼に先ず入ったのは白銀に輝く立山連峰の雄姿であった。午後1時高岡駅御到着、駅前は大変な奉迎である。小杉農学校で稲刈を御覧になり、オープンカーを召されて富山市の奉迎場へ向われる。会場の神通中学校には5万人の大群衆が万歳の嵐で御出迎へし、先ず富山県県民歌、大正14年御作の御製「立山の空に聳ゆるををしさにならへとぞ思ふみよのすがたも」(岡野貞一作曲)、次いで「君が代」の大合唱、再び万歳の嵐の中、売薬会社広貫堂、日産化学を御視察、戦災の堀川小学校では1年から6年までの教室を全部御廻りになられた。第二日目の31日は早朝7時30分に御泊所を出られ、県西部を御巡幸になった。走行160キロ、御立寄り11ヶ所という寸暇もない御日程であった。この日もよく晴れていて、立山連峰は御製の如く実に雄大であった。第三日目(11月1日)この日は、県東部を婦負郡細入村という岐阜県との県境に近い山村から日本海岸の新潟県に近い入善まで隈なく御巡幸遊ばされたが、特筆すべきは陛下の御希望により、地方御巡幸でこの日はじめて御手植えが実施されたことである。これは前日の31日夜、急に決定したことであった。‥‥この山林の所有者である前沢善作氏(当時70歳)が支え持つ立山杉の苗木に、鍬を御手に両三度叮嚀に土をかけられ、3本の立山杉を御手植えされ、その老農夫に仰せになった。 『よく植林に努めてくれよ』 『はい、生命をかけても御守り致します』と、この農夫は俯いたまま御答えして、はらはらと泣いた。このことあってより、陛下の大御心を対して昭和25年、山梨県甲府市で第1回全国植樹祭が両陛下を御迎えして開催され、現在に及んでいる。 【県下各郡、余す所なく御巡幸】 但し、毎日6時間に余る自動車の走行で、南は県境の山間部落から、北は日本海に面する漁村まで、管内各郡余す所なく足跡を印せられたのであるから、陛下にとっては、容易ならぬ労働量であったと御察しする。県下の各郡を普く御回りになるというようなことは、この県のようにまとった地形の場合において、始めて可能なことではあるが、それにしても、この計画実施を押し通した知事の政治力も相当なものであることを私は感じさせられた。御視察は、農業、工業、貿易、漁業、病院、港湾施設、その他各般に亙っていたが、純粋に県民の奉迎場に臨御になるためだけに、長途鹵簿を進められたような場合もあった。これは従来の考え方からすれば、随分議論の余地はあった所で、御覧を願う程の施設もない所に、行幸を仰ぐことは相済まないという見解である。当時、私はこう答えたことがある。「陛下の最大の関心事は、国民がどうしているかということである。どんな僻諏の地方でも、陛下は、国民が努力奮闘している有様を御覧になるためならば、喜んで御出になるに相違ないと思う。物的施設などは二の次である」と。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ★昭和聖徳記念財団 昭和聖徳記念財団ホームページ ★昭和天皇・マッカーサー会談の「事実」 ---敵将を心服させた昭和天皇の御聖徳 日本政策研究センター・アーカイブス ■昭和天皇の全国ご巡幸 《石川県》(36) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《福井県》(35) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《山梨県》(34) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《新潟県》(33) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《長野県》(32) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《栃木県》(31) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《福島県》(30) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《山形県》(29) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《秋田県》(28) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《青森県》(27) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《岩手県》(26) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《宮城県》(25) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《京都府》(24) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《兵庫県》(23) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《和歌山県》(22) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《大阪府》(21) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《茨城県》 (20) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《岐阜県》 (19) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《愛知県》 (18) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 (17~) 日本の心を育むネットワーク ![]()
●戦後復興は昭和天皇 の全国ご巡幸から 始まった!! ☆大東亜戦争の責任を 一身に負われ、 国民を慰め励ましたい御心で ご視察日数165日、 全コースは3万3千キロに およんだ! ◎ 戦の わざはひうけし 国民を おもふこころに いでたちてきぬ ◎ わざはひを わすれてわれを 出むかふる 民の心を うれしとぞ思ふ ◎ 国をおこす もとゐとみえて なりはひに いそしむ民の 姿たのもし (昭和21年の昭和天皇御製) 「全国ご巡幸の大御心」 昭和天皇は、戦にやぶれ焦土と化した全国を巡り、国民を励ましたいとの、ありがたい次のような思召しを終戦の年の10月侍従に告げられた。 『この戦争によって祖先からの領土を失い、国民の多くの生命を失い、たいへんな災厄を受けた。この際、わたくしとしては、どうすればいいのかと考え、また退位も考えた。しかし、よくよく考えた末、この際は、全国を隈なく歩いて、国民を慰め、励まし、また復興のために立ちあがらせる為の勇気を与えることが自分の責任と思う。わたくしとしては、このことをどうしてもなるべく早い時期に行いたいと思う。ついては、宮内官たちはわたくしの健康を心配するだろうが、自分はどんなことになってもやりぬくつもりであるから、健康とか何とかまったく考えることなくやってほしい。宮内官はそのことを計画し実行してほしい』 昭和天皇をお迎えした国民のよろこびはたいへんなものでした。戦後65年、現在の日本がみごとに復興を果たした最大の原因は、あの大東亜戦争の責任を一身におわれ、国民を慰め励ましたい御心で、巡礼の行脚そのままに全国を行幸され、国民を感激させ奮い立たせたからでありました。そのことは、ご巡幸の際に接した多くの国民の声が証明しております。 ![]() ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ![]() ■昭和天皇の全国ご巡幸(36) 《石川県》 (昭和22年10月26日~30日) 御製 月かげはひろくさやけし雲はれし 秋の今宵のうなばらの上に 「和倉温泉」 【昭和天皇の御巡幸より】 石川県での最初の御巡幸は大聖寺町で、工場を御視察、次いで橋立漁港を経て、国立山中病院で傷病者を御見舞になられた後、御泊所の山中温泉・よしの屋別荘にお入りになられた。28日陛下は県庁で御昼食、市内御巡幸の後、列車で奥能登へ向われ、七尾湾頭の和倉へ御到着。農業共同作業やイソライト工場を御視察、御泊所の銀水閣に入られた。陛下を御迎へしたこの僻遠の地では昼間から山車が出、仮装の青年男女が町を練り歩き、夜に入るや多数の漁船を動員して笛や太鼓で囃しながら、海上から御座所の真下まで漕ぎ寄せて大漁踊りを御覧に入れた。この夜は仲秋の名月で、月光は皓々と海上より御泊所の軒下までさし込む一夜であった。前掲の御製はこの時の御作である。29日は朝から雨であった。奉迎場に立たれた陛下も、奉迎の人々もズブ濡れになった。入江侍従の日記によると「能登半島の先の方の人々が全部集まった」とあるが、果たしてどの位であろうか。恐らく数万の人が集まったであろう。前夜といい、この時といい、僻地の人々が陛下を御迎えする熱気はすさまじい。30日は快晴であった。国体の開会式が行われる金沢運動場には二万余の大観衆が早朝よりつめかけていた。午前9時25分、陛下は正面スタンドの御席につかれた。直ちに選手の入場、続いて開会式、先ず東会長、次に占領軍のギーボルト石川県軍政部長、次に森戸文相、石川県知事等が挨拶を行ったが、大会役員が占領軍に遠慮して、陛下に御願いしなかったのか御言葉はなかった。陛下は、小学校児童四千人のマスゲーム、自転車競技、陸上競技を天覧になり11時頃御退場、列車で富山県へ向われた。 陛下は毎年「国体」に御出かけになられるが、その発端は22年のこの金沢の大会であった。そして24年の東京大会から天皇・皇后両陛下御揃いで御臨席になり御言葉を賜ることが定着し、現在に至っている。 【新聞人への御配慮】 今度は自動車で川の左岸を帰途につかれた。四、五分すると、たちまち車を捨てて御徒歩になった。この日は、新聞通信の人たちとは、予め協定が出来ていて、彼等は神社へ先着するか、又は遥か後方から御様子を望見しながら随従することになっていたらしく、しかもこの協定はよく守られて来たのである。ところが、途中御下車という予定外の出来事のために、今までの協定はたちまち破れて、彼等は銘々の自動車から飛び降りて、一目散に陛下の周囲へ駆けつけ撮影を始めた。陛下は何度も何度も、彼等のために変わった御姿勢で写真を御撮らせになったが、それが一段落済むと、「新聞社の人たちは締切時間があるから、先を急ぐのだろう。急ぐ人たちの自動車は、鹵簿(ろぼ)をすりぬけて先へ通れるようにしてやれ」と仰せになった。記者諸君もこの御言葉は直接耳にしたろうと思う。陛下は自動車をよけて、田舎道の傍らに佇立(ちょりつ)して居られる。洋傘を杖に。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ★昭和聖徳記念財団 昭和聖徳記念財団ホームページ ★昭和天皇・マッカーサー会談の「事実」 ---敵将を心服させた昭和天皇の御聖徳 日本政策研究センター・アーカイブス ■昭和天皇の全国ご巡幸 《福井県》(35) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《山梨県》(34) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《新潟県》(33) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《長野県》(32) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《栃木県》(31) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《福島県》(30) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《山形県》(29) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《秋田県》(28) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《青森県》(27) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《岩手県》(26) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《宮城県》(25) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《京都府》(24) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《兵庫県》(23) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《和歌山県》(22) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《大阪府》(21) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《茨城県》 (20) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《岐阜県》 (19) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《愛知県》 (18) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 (17~) 日本の心を育むネットワーク ![]()
●戦後復興は昭和天皇 の全国ご巡幸から 始まった!! ☆大東亜戦争の責任を 一身に負われ、 国民を慰め励ましたい御心で ご視察日数165日、 全コースは3万3千キロに およんだ! ◎ 戦の わざはひうけし 国民を おもふこころに いでたちてきぬ ◎ わざはひを わすれてわれを 出むかふる 民の心を うれしとぞ思ふ ◎ 国をおこす もとゐとみえて なりはひに いそしむ民の 姿たのもし (昭和21年の昭和天皇御製) 「全国ご巡幸の大御心」 昭和天皇は、戦にやぶれ焦土と化した全国を巡り、国民を励ましたいとの、ありがたい次のような思召しを終戦の年の10月侍従に告げられた。 『この戦争によって祖先からの領土を失い、国民の多くの生命を失い、たいへんな災厄を受けた。この際、わたくしとしては、どうすればいいのかと考え、また退位も考えた。しかし、よくよく考えた末、この際は、全国を隈なく歩いて、国民を慰め、励まし、また復興のために立ちあがらせる為の勇気を与えることが自分の責任と思う。わたくしとしては、このことをどうしてもなるべく早い時期に行いたいと思う。ついては、宮内官たちはわたくしの健康を心配するだろうが、自分はどんなことになってもやりぬくつもりであるから、健康とか何とかまったく考えることなくやってほしい。宮内官はそのことを計画し実行してほしい』 昭和天皇をお迎えした国民のよろこびはたいへんなものでした。戦後64年、現在の日本がみごとに復興を果たした最大の原因は、あの大東亜戦争の責任を一身におわれ、国民を慰め励ましたい御心で、巡礼の行脚そのままに全国を行幸され、国民を感激させ奮い立たせたからでありました。そのことは、ご巡幸の際に接した多くの国民の声が証明しております。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ■昭和天皇の全国ご巡幸(35) 《福井県》 (昭和22年10月23~26日) 【ご到着の祝砲に湧きあがる万歳】 (―株式会社 芝浦製作所小浜工場―) 若狭路に初めて天皇陛下を御迎えする小浜町民は、感激の思いも一しお深く定刻時間前から市中沿道ともに数万の人垣を築いて御待ちする中を、午前十時三十分遠敷街道を経て、駅前芝浦製作所小浜工場に御到着。この時一発の祝砲とどろき、期せずして湧きあがる万歳の鯨波の中を、陛下にはいささかも御疲れの御様子なく、自動車から御降りになり、門前に御出迎えの官公吏に軽い御会釈を賜りつつ、高村東芝本社長の御案内で構内に臨時に設けられた御休憩所に入られて同工場の沿革などを御聴取になり、それから木村工場長の御説明で工場各棟を御巡覧、女子行員の働く巻線作業場やモーターの仕上げ場等熟練工の働く様子を特に御興味深くながめられ、同工場従業員組合長、阿部廣氏(47)に親しくほほえみかけられて『この辺の食糧事情はどうか。国家再建のためしっかり働いて下さい』と御激励の御言葉を賜われば、同氏は双眼に涙をたたえつつ「はい全従業員一丸となり生産増強に励みます」と御答え申し上げると、陛下は御満足気にうなずかれた。そして部分品やその他の器具類を仔細に御覧になりながら工場長の御説明に一々うなずかれ、各棟ごとに今日の感激を込めて働く男女行員達に『これからまだ苦しいだろうがしっかりやって下さい』と温かい御心のほどを示されて作業場の御視察を終えられ、前庭に集まった引揚者、戦災者、遺家族、未復員者家族、各種団体代表等約三千の整列する前をお通りになるうち、「引揚者」と書かれた掲示の前にふと御目を止められ『随分遠い所から帰って来た人もいるだろう。苦しいだろうが一生懸命やって下さい』とねぎらわれ、又内外海村阿納尻板谷彌吉さん(62)の胸につけた傷痍軍人徽章にふと御目を止められ、『身体はどうかね。しっかりやって下さい』と御言葉をかけられ、更に各種団体長にも一々御丁重にねぎらいの御言葉をかけられて、同五十分またも起る万歳の唱和の中を漁港へ向われた。 【みぞれまじりの雨がぱったり止んだ!】 (―岡本製紙共同作業場―) みぞれさえも交えてザッザッと降りしきる雨がぱったり止んだ。丁度午後二時半、雲の中からやわらかい光の漏るもと、陛下はあずき色の御召自動車から御帽子を振りつつ御降りになり、雨に濡れた泥道の上に御立ちになった。期せずして起る絶叫の渦、地方産業御振興の思召しから行幸になられた岡本製紙共同作業場の門前である。晩秋の冷気身にしみる雨の越路を朝早くからお回りになったせいであろうか、やや御顔が青ざめて御疲れの色が見える。門内に一歩お入りになるや、作業場まで砂道を埋めつくした組合員、奉迎者、印刷局員等の家族に、ねずみ色の御帽子を高くあげられたまま、潮なす万歳の波の中をじっと御目を注がれつつお喜ばしそうに入口へ向われる。「あっ!!赤いお靴が」の声にふと見ると陛下の御靴は雨にじゅくじゅくの砂道にズブズブとくいこんで行く。そして上品な小さな靴跡が掃き清められた砂上に一ツ二ツ三ツ‥‥‥‥‥‥。場内では岡本製紙工業共同組合岩野理事長、同手漉工業共同組合細井理事長等の説明を一々『うんうん』と軽くうなずかれつつ、紙幣抄紙ならびに一般用紙の手漉作業場を珍しそうにおながめになって、更に乾燥仕上場に進まれ門外に出られたが、従業員の列の前でつと立ち止まられ『色々困難なこともあったろうね』と初めてお慰めの御言葉がかかる。更に『どうぞこれからもしっかりやってね』とあとの御言葉を特に二回も三回も強く繰り返された。列の一歩前に出ていた工務係長の長田豊君(29)は、思わず直立不動「はっ、しっかりやります」ときびきびした口調でお答えし、しばし興奮に頬が赤らむ。嬉しいのであろう体が軽くけいれんさえしていた。 ![]() ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ★昭和聖徳記念財団 昭和聖徳記念財団ホームページ ★昭和天皇・マッカーサー会談の「事実」 ---敵将を心服させた昭和天皇の御聖徳 日本政策研究センター・アーカイブス ■昭和天皇の全国ご巡幸 《山梨県》(34) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《新潟県》(33) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《長野県》(32) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《栃木県》(31) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《福島県》(30) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《山形県》(29) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《秋田県》(28) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《青森県》(27) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《岩手県》(26) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《宮城県》(25) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《京都府》(24) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《兵庫県》(23) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《和歌山県》(22) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《大阪府》(21) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《茨城県》 (20) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《岐阜県》 (19) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《愛知県》 (18) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 (17~) 日本の心を育むネットワーク ![]()
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎ ★☆今上陛下御即位満二十年! 御大婚満50年を 国民こぞって御祝いしましょう☆★ ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎ ◇平成21年11月12日(木)は皇居前広場でお祝いしましょう!◇ ◎参加者は招待券が必要です。応募締め切りは10月23日消印有効 ・下記をクリック↓↓ ![]() ![]() ![]() ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ●戦後復興は昭和天皇 の全国ご巡幸から 始まった!! ☆大東亜戦争の責任を 一身に負われ、 国民を慰め励ましたい御心で ご視察日数165日、 全コースは3万3千キロに およんだ! ◎ 戦の わざはひうけし 国民を おもふこころに いでたちてきぬ ◎ わざはひを わすれてわれを 出むかふる 民の心を うれしとぞ思ふ ◎ 国をおこす もとゐとみえて なりはひに いそしむ民の 姿たのもし (昭和21年の昭和天皇御製) 「全国ご巡幸の大御心」 昭和天皇は、戦にやぶれ焦土と化した全国を巡り、国民を励ましたいとの、ありがたい次のような思召しを終戦の年の10月侍従に告げられた。 『この戦争によって祖先からの領土を失い、国民の多くの生命を失い、たいへんな災厄を受けた。この際、わたくしとしては、どうすればいいのかと考え、また退位も考えた。しかし、よくよく考えた末、この際は、全国を隈なく歩いて、国民を慰め、励まし、また復興のために立ちあがらせる為の勇気を与えることが自分の責任と思う。わたくしとしては、このことをどうしてもなるべく早い時期に行いたいと思う。ついては、宮内官たちはわたくしの健康を心配するだろうが、自分はどんなことになってもやりぬくつもりであるから、健康とか何とかまったく考えることなくやってほしい。宮内官はそのことを計画し実行してほしい』 昭和天皇をお迎えした国民のよろこびはたいへんなものでした。戦後64年、現在の日本がみごとに復興を果たした最大の原因は、あの大東亜戦争の責任を一身におわれ、国民を慰め励ましたい御心で、巡礼の行脚そのままに全国を行幸され、国民を感激させ奮い立たせたからでありました。そのことは、ご巡幸の際に接した多くの国民の声が証明しております。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ![]() ■昭和天皇の全国ご巡幸 (34) 《山梨県》 (昭和22年10月14~15日) 【克服された風土病に御安堵】 (―農民の健康を気づかわれて―) 御視察第八日目の14日、天皇陛下は長野県下の巡幸をつつがなく終えられ午後零時50分上諏訪駅発、同2時22分韮崎につかれて御勅使橋から砂防治水工事を望見された。明治以来三度水害に勅使を差遣わされたところである。陛下は新潟で蚕虫病の研究を御聞になったが、山梨県の地方病吸血病の発生地玉幡村にも行かれた。ここで地方病研究所長から吸血病の話を聞かれたが、この病原体は巻貝に寄生し、水田に入る農民を犠牲にするが最近では、ワクチンが完成して死亡はほとんどないとの説明に陛下も御安堵の御様子であった。 【荒ムシロ敷きの部屋に入って御激励】 翌10月15日は早朝7時30分に御泊所を出られ、国立甲府病院に御成りになり、各病室を廻って戦傷者、戦病者を御慰めになった。次いで、隣接する旧63部隊に収容されている戦災者を激励された。そこは畳などない荒ムシロ敷きの部屋であった。 「苦しいでしょうが、どうか明るい生活を送ってね」 陛下の御言葉に、戦争犠牲者たちは泣き伏すのみであった。 次にオープンカーに御乗換えになり、沿道の歓呼に応えられつつ 春日小学校を経て市外へ出られ、酒折、山梨の各村を通り、県内で水害の一番ひどかった日川村に入られた。ここは村内の二分の一に近い田畑が土砂に洗われ、青田変じて砂原と化したところである。御下車して村長の説明を堤防上で聴取されたが、今回の水害は明治40年から4回目であると奏上。集まった郡民を激励された。 午後は県立工業試験場、山梨染工を御視察になり大月町着、ここで同地方1万3千人の奉迎を受けられ、万歳の嵐の中を午後4時10分、御召列車は東京へ向けて発車したのであった。この時、列車の中で召上る御夕食として甲府駅の駅弁を御持参になられた。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ★昭和聖徳記念財団 昭和聖徳記念財団ホームページ ★昭和天皇・マッカーサー会談の「事実」 ---敵将を心服させた昭和天皇の御聖徳 日本政策研究センター・アーカイブス ■昭和天皇の全国ご巡幸 《新潟県》(33) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《長野県》(32) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《栃木県》(31) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《福島県》(30) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《山形県》(29) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《秋田県》(28) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《青森県》(27) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《岩手県》(26) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《宮城県》(25) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《京都府》(24) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《兵庫県》(23) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《和歌山県》(22) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《大阪府》(21) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《茨城県》 (20) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《岐阜県》 (19) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《愛知県》 (18) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 (17~) 日本の心を育むネットワーク ![]()
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