御 製(昭和22年鳥取県)
わが国の 紙見てぞおもふ 寒き日に いそしむ人の からきつとめを
鳥取県ご巡幸は降りしきる雪の中から始まりました。倉吉中学校校庭奉迎場では中本町長が敬礼すると、期せずして2万人の君が代の大合唱となって天神河畔にひびきました。東伯郡旭村村立授産場にもおなりになりました。
和紙をすく小さな工場で、引揚者や遺族、戦災者が働いていました。天皇さまは、ふとお立ちどまりになり、紙をすいている若者におたずねになりました
。『どこから帰ってきたの』「満州の開拓団です
」『たいへんだったね。でも、よく帰ってきたね。苦しかっただろうね』。若者はもう答えられず、頭を深く下げるばかりでした。これは、このおりの御製です。
ノース・アメリカン紙フォーク記者は
「天皇はいい人だ。市民は涙を流して奉迎に熱狂している。これが日本人の真の国民性なのだろう。美しい光景だ」と話しています。