カテゴリ
ライフログ
無私と慈愛の人
画期的昭和天皇伝
伊藤哲夫 著
いま甦る記紀の真価
八木 秀次 著
平泉澄 著
戦後日本の歪みを排す
田中 正明 著
中川 八洋 著
竹田 恒泰 著
小堀桂一郎・
中西輝政 共著
神道の魂日本神話
出雲井 晶 著
竹田 恒泰 著
竹本忠雄 著
竹田恒泰・八木秀次著
竹田恒泰 著
フォロー中のブログ
お気に入り
最新のトラックバック
以前の記事
2015年 11月 2015年 05月 2015年 01月 2013年 11月 2013年 02月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 02月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
●戦後復興は昭和天皇 の全国ご巡幸から 始まった!! ☆大東亜戦争の責任を 一身に負われ、 国民を慰め励ましたい御心で ご視察日数165日、 全コースは3万3千キロに およんだ! ◎ 戦の わざはひうけし 国民を おもふこころに いでたちてきぬ ◎ わざはひを わすれてわれを 出むかふる 民の心を うれしとぞ思ふ ◎ 国をおこす もとゐとみえて なりはひに いそしむ民の 姿たのもし (昭和21年の昭和天皇御製) 「全国ご巡幸の大御心」 昭和天皇は、戦にやぶれ焦土と化した全国を巡り、国民を励ましたいとの、ありがたい次のような思召しを終戦の年の10月侍従に告げられた。 『この戦争によって祖先からの領土を失い、国民の多くの生命を失い、たいへんな災厄を受けた。この際、わたくしとしては、どうすればいいのかと考え、また退位も考えた。しかし、よくよく考えた末、この際は、全国を隈なく歩いて、国民を慰め、励まし、また復興のために立ちあがらせる為の勇気を与えることが自分の責任と思う。わたくしとしては、このことをどうしてもなるべく早い時期に行いたいと思う。ついては、宮内官たちはわたくしの健康を心配するだろうが、自分はどんなことになってもやりぬくつもりであるから、健康とか何とかまったく考えることなくやってほしい。宮内官はそのことを計画し実行してほしい』 昭和天皇をお迎えした国民のよろこびはたいへんなものでした。戦後65年、現在の日本がみごとに復興を果たした最大の原因は、あの大東亜戦争の責任を一身におわれ、国民を慰め励ましたい御心で、巡礼の行脚そのままに全国を行幸され、国民を感激させ奮い立たせたからでありました。そのことは、ご巡幸の際に接した多くの国民の声が証明しております。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ■昭和天皇の全国ご巡幸(38) 《鳥取県》 (昭和22年11月27日~29日) 御製 わが国の紙見てぞおもふ寒き日に いそしむ人のからきつとめを (遺族、引揚者、戦災者が働く和紙拭き工場にて・11月28日) ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 【行幸を仰ぎて】 鳥取県知事 西 尾 愛 治 天皇陛下は御巡幸中、御痛々しい程御気を使われていることをひしひしと感じさせられた。美術展や物産展などにお成りになっても常に出品者の名札に一々御注意になっていたし、育児院にお出でになっても孤児などが遊戯をしていると、その側にお進みになり、ニコニコしながらオルガンに合わせて微かにお顔をお振りになり、御足もリズムに合わせて微かに床を打っておいでになった。また国立病院においでになっては戦傷患者の一人一人に対しベッドの側の名札を先ず御一瞥(べつ)、ビルマから帰還した患者には「何時帰りましたか」「こちらは寒くありませんか、病気はどうですか」「切角大事にして下さいネ」と言われ、シベリアから帰還したと言う患者には「辛かったろうネ」「よく辛抱してくれましたネ」「病気の調子はどうですか、早く良くなって下さいネ」等と言われた。べッドの上に正座して陛下の御尋ねにお答え申し上げる患者も初めの御質問には威儀を正し、去る日の勇士らしくお答えしているかと思う束の間、眼はうるみ、声はふるい、終には声も出し得ない者もあった。私は陛下のあとに扈従して止めどなく出る涙を如何ともなし得なかった。「陛下は人間天皇なんだ、おたがいに人間として御見舞になっているのだ」と思い返しては見るけれども、如何にしても陛下が人間以上の尊き存在のように感じられて仕様がなかった。 【ほそぼそと暮らす人々にも生きる力が】 たとえば七十ちかい齢ででしかもお針仕事で稼ぎながら孫三人との生活を支えている岸本きしさんには「子供を大事にしてね、明るく大切に育ててください」と力づけられ、子供四人を抱えて健闘している石田幸恵さんのところでは新制中学の二年に通うお姉さんに「お母さんに心配かけぬようしっかり勉強してね」そしてまた、同じく子供三人と並んで庭先でお迎えした若い遺族の柴田さんの前では七ツのチエちゃんにも「元気で大きく・・・」とやさしくほほ笑みかけられるといったありさま・・・ この東の平の中腹の母子寮は、平生ともすれば世間一般から見落とされがちな社会の果てちかい片隅である。けれどもここに住む人々は、言わばこの丘の中腹の母子寮を最後のとりでとして、もっとも必死に生活の丘にいどんでいるけなげな人々である。一歩つまずけばそこにはもう救われがたい絶望の深淵が待ちかまえているからである。そして、しかしこの必死の営みが決して徒労でないことを、ここの人々は、この日しみじみと胸に思いおこさなかったであろうか―― 希望をもって生きることは、それがどんなに苦難に充ちた日々であろうとも、孤独から救われるから心強い。希望の光は、それがどんなに遠くかすかであろうとも、生活の道を照らしてくれるから美しい。このことを、今日のわれわれが最も信頼し、わが民族の象徴と親愛するわれらの陛下が、ハッキリと思いおこさせてくださったのである。日本の片隅のこの地山陰の、その社会の片隅にほそぼそと生活するこの母子寮の人々の前に、陛下みずからが御身をはこんで立たれたのである。 【「僕らのお父さま」と子供らが殺到】 成徳校の児童がマスゲームの途中から「わっ、僕らのお父さま」と陛下のまわりに殺到、万歳を浴びせかけた時の嬉しそうなお顔、幸福そうな微笑は印象的で打吹公園の石段を上られながら、いくどもいくども振り返ってはネズミ色の帽子がくしゃくしゃになるまでお振りになった。因伯牛の仔牛に近寄ってにっこりされたお顔、明道校の授業をごらんになりながら児童のうえにふりまかれたほほえみ、慈母観音のようにお優しくなられて気高くお美しかった。関西をはじめ関東、東北、北陸と御巡幸のたびに発せられた「頑張ってね、明るくね」のおことばに接する国民は新しくても陛下には何千何百回にも及んでは御自身、いやな思いをされるに違いないと思うが真剣にどんなにお急ぎの時でも必ず立ち止まられてほんとに心から励まされている。こんなにありふれた、平明でしかも適切な励ましの言葉が他にあろうか。爪先をあげて、かかとをしっかり踏みつけられながら体を曲げて二歩進んではことばをかけられ三歩行ってははげまされる。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ★昭和聖徳記念財団 昭和聖徳記念財団ホームページ ★昭和天皇・マッカーサー会談の「事実」 ---敵将を心服させた昭和天皇の御聖徳 日本政策研究センター・アーカイブス ■昭和天皇の全国ご巡幸 《富山県》(37) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《石川県》(36) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《福井県》(35) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《山梨県》(34) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《新潟県》(33) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《長野県》(32) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《栃木県》(31) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《福島県》(30) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《山形県》(29) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《秋田県》(28) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《青森県》(27) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《岩手県》(26) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《宮城県》(25) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《京都府》(24) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《兵庫県》(23) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《和歌山県》(22) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《大阪府》(21) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《茨城県》 (20) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《岐阜県》 (19) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《愛知県》 (18) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 (17~) 日本の心を育むネットワーク
by hagukumukai
| 2011-02-07 12:44
| 皇室
|
ファン申請 |
||