《埼玉県》(昭和21年3月28日)
陛下の御仁愛、心に泌み入る
埼玉村大字杉原の疎開では木村民八さん(32)をはじめ農民たちの二番作切りや、土入れ作業を御覧になり、農機具類に不自由はないか、肥料はどんな具合だ、といろいろお質ねになって
「肥料が不足して食糧増産も大変苦労だろうが一生懸命やってくれ」とお励ましになった。
隅田村内でも五人の篤農家をはじめ、一人一人御慰労と御激励の御言葉をかけられた。
たび重なる民情御視察で陛下御自身も国民との対話にお慣れになったせいか、お言葉もぐっとくだけてきたし、お話しぶりもお楽になられたようであった。群馬県下でも青年たちに
「どうだい、やっているかい」などとごくお気軽に話しかけられたことが度々あって側近者をおどろかせた。
また陛下はいつものように薄茶色のソフトを召されていたが民衆の歓呼におこたえになる度にいとも無造作に、ソフトの山のところをつかみお脱ぎになるので、川口駅前で万余の群衆の歓呼に会釈される頃にはくちゃくちゃに変形してしまった。