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◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎ ★☆今上陛下御即位満二十年! 御大婚満50年を 国民こぞって御祝いしましょう☆★ ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎ ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ●戦後復興は昭和天皇 の全国ご巡幸から 始まった!! ☆大東亜戦争の責任を 一身に負われ、 国民を慰め励ましたい御心で ご視察日数165日、 全コースは3万3千キロに およんだ! ◎ 戦の わざはひうけし 国民を おもふこころに いでたちてきぬ ◎ わざはひを わすれてわれを 出むかふる 民の心を うれしとぞ思ふ (昭和21年の昭和天皇御製) 昭和天皇をお迎えした国民のよろこびはたいへんなものでした。戦後64年、現在の日本がみごとに復興を果たした最大の原因は、あの大東亜戦争の責任を一身におわれ、国民を慰め励ましたい御心で、巡礼の行脚そのままに全国を行幸され、国民を感激させ奮い立たせたからでありました。そのことは、ご巡幸の際に接した多くの国民の声が証明しております。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ■昭和天皇の全国ご巡幸 (32) 《長野県》 (昭和22年10月7日・12日~14日) 【陛下、英霊の遺影に黙祷】(信濃寮) 信濃寮に成らせられ、正門前に御下車、寮主任甘利美信氏の御先導で、門内に整列する職員に御会釈を賜りつつ、便殿に入御、甘利主任から、寮の概況についての奏上を聞こしめされ、同氏の御案内で収容遺族未亡人16世帯、引揚者1世帯の部屋々々に腰をおかがめになられてはお覗きになり、「あゝみんなお気の毒だ、子供達もよくお母さんの言う事を聞いてネ」とお慰めあらせられたので、未亡人達は只感激に身をふるわせてすすり泣くばかりである。中でも折井はな子さんの部屋には、正面奥手に亡くなられた主人の軍服姿の写真が飾られてあったのにお眼をつけられ、低く「あゝ」と仰せになられてしばし敬虔なお黙祷を賜ったのには、お随い申上げた人々も皆一様に目頭を熱くするのであった。 【ただならぬ陛下の御決意に感泣】 象徴としての天皇は、最早政治に関与なされず、静かに、安らかに、じっとしていらっしゃれば宜しい、こういった観点から御巡幸の是非論も生まれて来るようだ。殊に理屈の多い信州人ときたらたまらない。あれやこれやと随分えげつない批判を耳にもした。勿論是正すべき点は相当にあるであろう。陛下をとりまく側近、宮内府の感覚などの中には反省もし、蒙を啓かなければならぬと思われる数々もある。お迎えする方の態度も徒らにお祭り騒ぎをして、却って聖明を蔽いまつるという場合もあるようだ。ともあれ私として一点指摘して置きたいのは、終戦後民情必ずしも静穏ならざる今日に於いて、つとめて地方をお廻りになり、民心を鼓舞されようとなされる御心奥に、ただならざる御決意がうかがわれるのである。私は今回の御巡幸をあり難く、うれしく、望ましく思う一人である。終戦の奇蹟を大きく演ぜられ、歴史の旋回にイニシアチブをとられただけでなく、どこまでも民族の運命を見とどけようとなされる大御心に、私はただ泣けるのである。 【戦災患者、暖かいお言葉に感涙】 (国立長野療養所) 所長から療養所の概況をお聞きになられた後、同氏の案内で病棟内を隈なく御巡覧あらせられたが、御着の際門前で奉迎申し上げた看護婦並に軽症患者が、再び病棟廊下に整列してお迎え申し上げて居るのを御覧になり、百数十名の看護婦さん達の前に、十数人毎に歩をお留めになられては、「さぞ苦しいだろうがしっかりやって下さいネ」とお優しくお励ましになり、更に患者さん達の前でも、近々とお顔をお寄せになって「身体はどうですか、御大事にネ」と御慰問になられ、殊に廊下の曲がり角に同じ様に整列して居た引揚者、及び戦災患者、北佐久郡協和村桃井薫さん(30)と、東京都江東区亀戸町塚田優さん(34)の前にお立ち留まりになって 「お気の毒でしたネ、体を大切にしてネ」とお言葉をお懸けになられたので、一同感激に眼をしばだたきつつお見上げ申し上げるのであった。此の日院内は御巡幸をお迎えして、破れたガラスもすっかり修理が出来、清掃も行届いて、病床には看護婦さん方の心尽くしの秋草や、菊の挿花が清楚に香って居た。陛下には順次「鈴蘭」「白樺」「皐月」の各病棟をお廻りになられて、病床上に端座して眼を輝かして居る患者さん達に、近々とお顔をお寄せになって「身体はどうですか、大切にネ」と御見舞いになるので、皆眼頭一杯に感涙を湛えてお見上げ申しあげ、起き上がる事の出来ない患者も、感涙に枕を濡らして感に堪えて居るのであった。此の療養所に収容されている人々は、全部が呼吸気病患者であるのに、マスクもお掛けにならず、近々と患者にお近寄りになられて一々御慰問になられたことは、お見上げ申すだに誠に感激に余りあるものであった。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ★昭和聖徳記念財団 昭和聖徳記念財団ホームページ ★昭和天皇・マッカーサー会談の「事実」 ---敵将を心服させた昭和天皇の御聖徳 日本政策研究センター・アーカイブス ■昭和天皇の全国ご巡幸 《栃木県》(31) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《福島県》(30) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《山形県》(29) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《秋田県》(28) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《青森県》(27) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《岩手県》(26) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《宮城県》(25) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《京都府》(24) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《兵庫県》(23) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《和歌山県》(22) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《大阪府》(21) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《茨城県》 (20) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《岐阜県》 (19) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 《愛知県》 (18) 日本の心を育むネットワーク ■昭和天皇の全国ご巡幸 (17~) 日本の心を育むネットワーク
by hagukumukai
| 2009-05-26 20:06
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